2018-11-14 第197回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号
ちょっと次の質問と絡めて申し上げますけれども、例えば、音楽大学で男女混声合唱団を編成しなきゃいけない、しかし、試験ばかりの結果で合格発表していたら、結果的には男性の合格者がいなかった、混声合唱団が組めない、これが実は実態だと思うんですよ。
ちょっと次の質問と絡めて申し上げますけれども、例えば、音楽大学で男女混声合唱団を編成しなきゃいけない、しかし、試験ばかりの結果で合格発表していたら、結果的には男性の合格者がいなかった、混声合唱団が組めない、これが実は実態だと思うんですよ。
それを受ける形で、一九一八年六月一日に、この捕虜の方々が同収容所内にて地元のオーケストラの方々と合唱団を共演するという形をもって、初めて第九を全曲演奏したという経緯でございます。また、その後も、地元の方々は、同収容所で亡くなったドイツ軍兵捕虜を弔うための慰霊碑を守ってこられたところでございます。
これまで政府が否定されてきたようなサークルだとか同窓会、楽譜のコピーをするアマチュアの合唱団、あるいは山に、キノコに、行くキノコ取りのサークル、こういうものが何でも対象になり得るということなんですね。それこそ一般人が対象になるかならないかというさっきの話でいえば、なるかもしれない。そのことが私は重大な問題だと思うんです。
当然、こうした縛りから、例えばその辺の音楽教室とかあるいは合唱団、そういったものがこの組織的犯罪集団に該当するはずがないということはまず明らかだと私は考えております。
きょう、ここまで申し上げてきた話と重なるんですが、具体的な話で、先ほどアマチュアの合唱団の話をしました。
他方で、今言われた、アマチュア合唱団などにおいて楽譜を複写することを繰り返しているという事態、この楽譜を複写するということ自体がもし仮に著作権法違反になると仮定いたしますと、そのような行為を行っているのは、その個々の行為について、それを、そういった場合に著作権法違反に当たるか当たらないかということは、当たり得る場合があるかもしれませんけれども、今回の組織的犯罪集団という概念は、既遂行為、犯罪の実行行為
アマチュア合唱団が、違法だとわかっていても、著作権法違反でコピーしてやっている。それは、やっていることは既遂だし、既遂を繰り返している。では、まず、既遂だから組織的犯罪集団に当たる、そこの問題なんですよ。この法律上、そういうアマチュア合唱団は組織的犯罪集団に当たり得る、ですよね。その組織的犯罪集団の認定については、まさに計画罪の話じゃないですから、当たり得る。
例えば、ロンドンやリオでは文化オリンピアードの一環としてホームレスの人々が合唱団のパフォーマンスを行うとか、様々な取組をしています。
をしておりまして、家庭内野党に大変苦労しているというところでございましたが、御案内のように、老朽化した、そして財源的になかなかこれを続けることが難しいということが一番大きな原因であったわけで、平成二十四年にもう既にそのことが決まっておったわけでありますが、今般これを閉館することにいたしましたけれども、やはり先ほどお話があったように、障害児の遊びの開発であるとか、それから、今実際にダウン症のお子さんたちの合唱団
ちょっと時間もないので、最後に、関連をいたします質問で、文化交流なんですけれども、私、合唱団を二十四年間やっておりまして、文化の発展というのも非常に興味が強うございます。
大きな青少年の合唱団を連れていく、二十三人となったら、これは合唱団としてはちっちゃいアンサンブルになっちゃうわけですよ。 この人数の拡大という検討はどうですか。そうじゃないといろいろな多様性のある団体が行けないんですよ。
これは、ベートーベンの第九、喜びの歌を、障害を持った方も、僕は、後で申し上げますが、健常者という言葉は嫌いですが、普通の方も、普通の方という言い方も余り好きではないんですが、三百人とか五百人で一生懸命、一年掛かりで合唱のパートを練習をして、そこにボランティアの皆さんが練習場への移送やいろんな形で、音楽家もかかわって、本当に五百人規模の合唱団で、京都市交響楽団や世界的に活躍をされている指揮者の下で第九
そんな中で、この学校で、クラブ活動の一環としてそういった地域の伝統を受け継ぐというようなことをしたり、あと、生徒、それから教職員、保護者、そして地域の方々も加わって混声の合唱団を形成して、そういった地域の中で非常に溶け込んだ形で活動しているんですけれども、この学校支援地域本部事業という中で、私立の学校も対象となる、あるいは拠点となるというような可能性があるのかどうかについてもお聞かせいただきたいと思
夏に行ったイベントのコンサートは、一過性でしたけれども、ほとんど活用されていない神社の場所を借りたり協力を得て、地域の音楽家、そしてまた合唱団、大学のジャズバンドも出演をしてくれまして、盛況だったと聞いております。
考えてみますと、ピアノのコンクールとかあるいは合唱団のコンクールというのは新聞社などもやっておりますから、行政もさることながら、新聞社などにも働きかけて、このような和楽器の演奏会をしたら子供たちの気持ちも喚起できると思いますので、これはぜひ私が、大臣の御指示をいただきながら企画をしていきたいと思っております。
ちょうどこれもおととし、天皇陛下の十周年をやって、去年、私は決算委員会で歌を歌ったんですけれども、おととしの国立劇場で陛下の在位十周年をやったとき、東京放送児童合唱団が陛下の前で歌を四曲歌ったんです。「みかんの花咲く丘」、「夏の思い出」、「小さい秋見つけた」、そして「かあさんの歌」、これはいずれも日本の四季折々の情緒を歌っている歌なんです。
トルコに大使でおりましたときにも合唱団をつくりまして、そこでいろんな歌を歌ったんですけれども、最後に「ふるさと」を歌うと涙が込み上げてくるというような、そういう体験もしているわけでございますが、そのような情操教育を通じての、ある意味での自己表現であり、また美しいものに感動する心なり、そして一緒に歌を歌ったりして感動し合う、心を共感し合う、そういうことが非常に人間形成にとって大事だと思っております。
学生からアンケートをとって、出会いの場をつくりたいというので混声合唱団を思いつきまして、女子大に交渉して混声合唱団をつくったところ、これが大ヒット商品になりまして、それからめきめきと男の子たちがもう競争して女性にタックルをしまして、中で結ばれるのが非常にたくさん出ました。 それから、最近ですと、例えば私は子供が四人いるんですけれども、全部二十代の前半で結婚して、全部すぐに子供ができております。
あのとき東京児童少年放送合唱団が「みかんの花が」というのをまず歌ったんですね。次に、「夏がくれば思い出す」、これは我が県の歌なんですが、「夏の思い出」。それから、「誰かさんが誰かさんが誰かさんが見つけた」、「小さい秋見つけた」。それで、「かあさんが夜なべをして」というのを歌っているんです。これはみんな春夏秋冬なんです。あのときはもう本当にみんな涙が出ました、私は。多分、大臣も出たと思うんです。
労働の権利ということも私たちは知っているので、難民の人たちにただ物を施すというだけではなくて、この人たちが一人の人間として生きていけるように、あるいは教育の権利、それから文化に浴する権利、こういうものを考えて、最後に、この四月に地域の合唱団の子供たちを連れて文化に浴することのない難民キャンプでコーラスをして、難民キャンプの子供たちと一緒に歌を歌ったり遊んだりしました。
先ほどのホームページをもう一度見ますと、「合唱団のお仕事だけではいろいろと厳しいこともあるので、メンバーはそれぞれ他の合唱団の出演や指導、学校の先生、スタジオ録音、アムウエイのセールス、コンビニエンスストアでのアルバイトなど、様々な事をしています。 オペラって素敵な世界にも思えるけど、なかなか厳しいものでしょ。」
しかし、合唱団、バレエ団などは一年契約なので雇用関係はない。したがって、事故が起きたときの労災補償もないということになるんだと思うんですね。 私、「新国立劇場合唱団とは」というホームページが開設されておりましたのでアクセスをしてみました。
もう一つは、六人の参考人の中で、樋口さんがお話をして、いわゆる混声合唱団、私も実は合唱をやっておりまして、樋口さんの意図するところと私ちょっと違うのかなと。樋口さんは、男性合唱から混声合唱にしようと。
○仲道俊哉君 あわせて先ほどの、男らしさ女らしさの、随分いろいろと出たんですが、混声合唱団のお話を聞きながら、先ほどの大森先生のお話を聞いて、まさに混声合唱団というのはその点が出ておるんではないかなというような感じがしたんですが、御意見なりをぜひお聞きいたしたい。
これは、ちょうど先日、天皇陛下の在位十周年をやって、国立劇場にそれぞれ、大臣も二列目にお座りになっておりましたが、私は、あそこで東京児童合唱団が「みかんの花咲く丘」から「かあさんの歌」まで締めて五曲歌いましたけれども、本当に心打たれて、もし今の児童、青年、少年がこんな歌を口ずさむことができるようであれば、こんな非行とか、将来の日本もある意味では安心できるんじゃないかと。